新潟そば 新発田市の手打ちそば。 ホタル  おいしい蕎麦!  山岳手打ちそば一寿 


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連絡先
山岳手打ちそば一寿
〒959-2477
新潟県新発田市下小中山1024−15
(JR金塚駅国道口前)
TEL 0254-33-3480
FAX 0254-20-8458
E-Mail:itagaki@iplus.jp
営業時間
 11:30〜2:00 6:00〜9:30
定休日(電話確認要)
月曜夜・火曜日
1月・2月は月曜・火曜日
* 祝日は営業します!

大峰山山麓のホタル
大天城公園に隣接する、市道大天城改良線沿線には、地元住田地区の『住田地域ホタル保護研究会』が中心となり、ホタルの繁殖、保護を目的としたビオトープを作り、日頃からビオトープの管理、ホタルの幼虫の餌となるカワニナの放流、観察等、ホタルに関係する様々な活動を行っています。夏には大天城公園付近では、多くのホタルを見ることができます。日頃の活動の成果もあり年々ホタルの数も殖えてきています。夏の風物詩、忘れかけられている日本の夏の風情。夏が来るのが楽しみです。皆さんも夏の夕涼みがてら、『ホタル舞道』(マイロード)を散歩してみては如何でしょうか?
ホタル乱舞
静かに待つ

ビオトープとはビオトープの語源はギリシャ語で、「生命」を意味する「bio」と「場所」を意味する「topos」を組み合わせた合成語。ドイツの生物学者ヘッケルが「生き物のすむ空間」を「biotop」と呼び、その重要性を提唱したことが始まりとされる。ドイツでは1976年に自然の復元を盛り込んだ自然保護法が制定され、企業、政府、市民が一体となって、森や林、池などを整備し、生き物が生活できるビオトープづくりが広がっていった。



ホタルコンサートが行われる大天城公園の入り口

小学校の親子観察 小学校の親子観察

ホタルのお話し

日本では、ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルなどが知られていますが、日本では、49種類のホタルが見つかっています。世界では2千種類以上のホタルがいると考えられています。日本では、記録はあるが、現在見つかっていない種もあり、確定と言う訳ではありません。日本では、一般的に、ゲンジボタルとヘイケボタルの幼虫は水の中で育つのが、当たり前と思われていますが、世界のホタルから見ると、極めて珍しい種で、おそらく現在見つかっているホタルの中で、水中生活をする期間があるのは、この2種類だけのようです。また、ホタルと言うとみんな光を出すと思われがちですが、まったく発光しないホタル(オバホタル)などがいます。このホタルは発光の代わりにフェロモンを出します。そして昼活動します。

 

ゲンジボタルとヘイケボタルの名前の由来

ゲンジボタルのゲンジは『源氏』と書きます。これは江戸時代初期に、和歌や俳句の作者たちの中に『源氏物語』の蛍の巻で、光源氏が女性の顔を見るため御簾(みす)の中にたくさんの蛍を放す と言う下りがあり、光るホタルを光源氏に結びつけることが在ったようです。言葉の遊びから、ゲンジボタルと言う名が、広まったのではと考えられています。

ヘイケボタルはその名の証明になる物は、ほとんど無く、江戸時代の頃、ヘイケボタルは小さい事から、ヌカボタルとかコメボタルと言われていたようです。江戸時代末期にはヘイケボタルとの名が在ったようです。発生する時期や場所、光り方にも違いがあり、大きなホタルが源氏と名が付いているので、小さなホタルを平家と言われるように、なったと考えられます。

 

ヘイケボタル

体長は7ミリから10ミリで黒色で、前胸は中央の太い縦帯を除き淡紅色で腹部は先端の2節が黄色である。成虫は早いものでは、5月半ばに出現して8月頃まで見られる。また、秋にも出るものもある。流れの緩やかな水田の用水路や、水田などに住む。餌はヒメモノアライガイなど主に食べる。ゲンジボタルのように一斉に出ることは無い。

 

ヒメボタル

体長6ミリから9ミリ 本州、四国、九州、屋久島などに住む。オスは細形で目は大きく、半球状で間がくぼむ。メスの体は太く短い、目は小さく、後ろ羽根は退化している。光の明滅は、他のホタルより早い。全くの陸上生活で、幼虫期も水中に入ることは無い。餌はオカチョウジガイやベッコウマイマイなど陸の貝(カタツムリ)を食べる。

                                  参考文 加藤 孝司 
 09.9.25(金)新潟日報に掲載されました!加藤 孝司 
源 氏 蛍

1、       

初夏、日が直接あらない川岸のミズゴケに卵を産みます。卵はまんまるというより少し楕円形をしています。産み付けられたばかりの卵は、薄い黄色でもうすでに弱い光を出しています。この光は暗いところでよほど良く見ないと分からないほどの光です。蛍の光る為の成分は、卵のうちにすでに持っているもので成長の途中で作られるものではありません。

卵は産み付けられて20日以上経つと黒くなっていきます。卵は29日から30日で孵化(ふか)します。源氏蛍の卵の孵化(ふか)率はとても高く90%以上になります。しかし、ミズゴケがカビたり、乾いている時間が長くなると死んでしまいます。それでも蝶やコオロギなどに比べればとても高いと言えます。

2、        幼虫

孵化は真夜中から明け方に多く、孵化した幼虫はミズゴケを伝って川に入ります。卵の大きさは0.5mm.で孵化したばかりの幼虫は体の長さが1.5mmです。幼虫の体には節があって伸びたり縮んだりして移動するので、2oくらいになることもあります。

川に入った幼虫は生きたカワニナという巻貝を食べます。源氏蛍の幼虫は生きたカワニナしか食べません。したがって、どんなにきれいな.川でもカワニナのいない川では蛍を見ることは出来ません。

幼虫がカワニナを探すのは夕方以降が多く、それは容易なことではありません。やっとカワニナを見つけると幼虫はカワニナの殻から出ている体に噛み付きます。幼虫はカワニナの肉を噛み切って食べるのではなく、カワニナの体を溶かす働きのある唾液をだし、細長い頭をカワニナの殻に入れ、液状に溶かした貝の肉をすすって食べます。これを「体外消化」といいます。

幼虫はカワニナを食べて成長し、石の下などにもぐって冬を越し、翌年の4月頃まで水中で暮らします。孵化から(さなぎ)までの間に幼虫は2から25mm.のカワニナを平均24匹食べるとの研究報告が出されていますが、水温、幼虫、カワニナの数、カワニナの餌の量などで変わってくると考えられます。

川の流れの中で冬を越し、春になってからもカワニナを食べ、幼虫は5回脱皮し6齢幼虫になります。飼育では7齢になることもあるとの報告もあります。

孵化から約9ヶ月経った終齢幼虫は、初夏、岸近くに来て上陸の時を待ちます。源氏蛍の終齢幼虫はいつでも上陸するわけではなく、上陸する為の条件があります。

一つは水温が1年のうちで最も急に上昇する時。

二つ目はその夜雨が降っているか、昼の間に雨が降って地面が濡れていること。

三つ目は水温と気温が大体同じであり、日の長さが13時間以上になることで、午後7時以降になります。

幼虫も光を出します。上陸した幼虫は濡れた地面の上に体を引きずるように歩き、発光器から親と同じ色の光を出し、数分間光続けて目的地へ向かいます。その様は、まるで星が地上に降りたように美しい光景です。ただ、突然発光をやめるのでどこにいるのか判らなくなることがあります。

幼虫は水の中でも発光するので今から300年昔の人々はこれを「水蛍」と呼んでいたと書かれています。また蛍の幼虫は水中で暮らし、のちに姿を変えるとも述べていますので300年前にこれを書いた人は、もうすでに蛍の生態をある程度知っていたようです。

この幼虫期の発光は成虫のように明滅しません。数分光って突然消えてまた光りだすという繰り返しで、幼虫同士が交信しているとは言えません。

幼虫は水中ではエラで酸素を取り入れ、上陸後は陸上の昆虫のように気門から空気を吸って酸素を取り入れるというすばらしい適応力を持っています。

上陸した幼虫は土の湿った状態を確かめて場所を決めると、土の中にどんどんもぐっていきます。その場所はそうとう湿っていて地表は植物で覆われている所です。これは直射日光が当らず風の影響も少なく土も乾かないからでしょう。

さて、源氏蛍の幼虫期は9ヶ月。その後上陸・・・この時上陸の時期を向えた幼虫が全部上陸すると思われがちですが、近年の研究ではどうもそうではないと考えられます。なぜなら・・・飼育ではわずかですがそのまま水中に留まる幼虫があります。飼育ですから餌は十分にあります。それなのに上陸しない幼虫が見つかります。鈴虫、コウロギなどにも同じことがおこります。陸上の飼育昆虫で土の中に産卵する昆虫では、約40%もの卵が孵化せずもう1年土の中に居ることが解ってきています。蛍の場合、餌が足りず良く成長できず上陸の時期を逃してしまった為なのかよく分かっていませんが、思うに、もし幼虫のすべてがその年に成虫になって、地上で気候の大変化や大火災が起こった場合、その種は絶えてしまうということにもなりかねません。昆虫たちはそれを防ぐためにその年の上陸やふ化、羽化を全体の数割が1年待つのではないかと考えても不思議ではないでしょう。飼育して人間が管理しているケースの中でさえ、少数ですがその年に上陸しない幼虫がいるということは、厳しい自然界ではより多くの幼虫がその年の上陸を見送っていると考えられます。自然の不思議、人間など及びもつかない昆虫の長い歴史、たくましさを思わずにはいられません。

3.蛹

  幼虫は土の中に数センチくらいもぐると、口から粘液を出しながら体を丸くして同じ場所でグルグル回ります。そして「土窩(どか)」という土のマユになります。このまま幼虫は約40日間、動くことなく過ごします。これが「前蛹(ぜんよう)」といわれる期間です。その後脱皮して(さなぎ)になり、ときどき体を動かし発光もします。約10日間で蛹は羽化します。

4.成虫

  そして約2日後、体が硬くなると地上に出てきます。

  蛍が光るのはコミュニケーション、つまり交信、人で言うと言葉とも言えます。夜空を光りながら乱舞するのは、結婚相手を探し、自分はここにいるという合図です。(夜空を光りながら乱舞する源氏蛍はほとんどオスで、メスは草などに止まり光りながらオスを待ちます)オスがメスにプロポーズする時の光り方は、空中を舞っているときの光り方とはまったく違います。

メスが草に止まって明滅しているのを、オスが見つけメスから15pくらいのところに止まり、腹をメスのほうに向けて曲げ、7から15秒の間に3から5回強く光ります。とても強い光です。約2分の間に数回連続して光り、10秒くらい間をおいて、また数回光ります。これはオスがメスへのプロポーズです。この間にメスが1回パッと光ります。すると発光をやめたオスがメスに近寄り交尾が行われます。結婚成立です。でも、メスが発光しなかったり、歩いてどこかへ行ってしまえば、プロポーズは終わりです。プロポーズを受け入れるか否かはメスが決めます。

  源氏蛍の光り方は、多くの方は全国同じに光っていると思っていることでしょうが、長野県あたりを境に、西の蛍は2秒に一回、東の蛍は4秒に一回です。この光り方の違いは、蛍の光りが言葉だとすれば、英語と日本語くらいの違いがあるとされています。最近の研究では、境界付近にわずかですが3秒で光る中間の蛍が生息することがわかっています。新潟県は辛うじてこの3秒蛍の生息内に入っているようです。新潟市でも3秒蛍が見つかりましたが、村上まで行くと見つけることはないようです。

  では、なぜ西と東ではこんなに光り方が違ってきたのか。遺伝子までも違います。源氏蛍は西から東へと移ってきたと考えられます。それなのに遺伝子まで違うとはどういうことなのでしょう。それは、数十万年前にさかのぼり、日本列島中央部でその地域の生き物が死に絶えるような大変動が起こったと考えられます。源氏蛍もこれを逃れることが出来ず、西、東と遠くはなれ、東の蛍は長い時とともに、光を4秒にしていったと考えられます。

  さて、本州中央部には3秒で光る蛍がわずかに生息しています。近年の研究で見つけられているようです。もともと3秒蛍がいたのではないかという説もありましたが、今2秒で光る蛍と4秒で光る蛍を交配させると、3秒で光る蛍が出ることが実験で確かめられました。ではなぜ3秒で光る蛍がほんの一部しかいなく、広がらないのでしょう。これは源氏蛍の行動範囲が深くかかわっています。源氏蛍の移動する距離はせいぜい60m。長くとも100mです。それも住んでいる川沿いに限られます。生育を広げるには蛍が住める条件の川が60から100m内にないと移り住んで広がることができないのです。このことは西、東の蛍にもいえることで、川や周りの環境が少しでも悪くなると、遠くへいけない蛍は絶えてしまうことになります。3秒で光る蛍は偶然に西と東の蛍が、台風の風にでも乗って出会ったのか、それは神様だけが知るところです。

  西の蛍と東の蛍の違いは光り方だけではありません。西の蛍は川幅が10mを超えるような大河に住み、光の乱舞は1万から数万匹きにもなります。また産卵は集団で行われます。それに対して東の蛍は川幅が50cmから1mくらいの小川に住むことが多く、光の乱舞は十数匹から多くても100匹ほどです。産卵行動も集団で行うことはありません。

5.環境(蛍を守るには)

  日本各地で蛍を守る運動が盛んに行われています。それと同時に蛍を見に多くの人が集まります。蛍は暗闇にすむ生物です。人が多く集まれば足元を照らす街灯が建てられます。人々が蛍をそばで見ようと川の近くを歩くと、川岸の草を踏み倒したり、幼虫がもぐり蛹になるための土を踏みつけ、幼虫がもぐれない固い土にしてしまうこともあります。このようなことで、大切な蛍がわずか3年ほどでまったく居なくなった所も多くあります。蛍を守るとはどういうことでしょう。

@  川だけをきれいにしてもだめなことで、大小のカワニナがいることはもちろん、川の回りの草や木を大切に守ること。

A  川の周りがコンクリートで固められた護岸だと、幼虫が上陸することが出来ず、その川の蛍は絶えてしまいます。岸の土と川の水が接していることが大切で、川の周りの蛍が休んだり産卵する為の草や木がたくさんあること。このいずれかがなくなっても蛍はいなくなります。

B  蛍の成虫が最も嫌うのが光で、近くの道路に街灯が建てられたことで、蛍がいなくなったということもよくあります。外灯は1m以下の高さにし、かさのようなものをかぶせ、光りが下だけにしか出ないようにするなど、工夫することがまだまだ沢山あります。

蛍は周りの環境にとても敏感な生き物で、蛍がいなくなるということは、環境が悪くなったと言え、自然環境の変化のバロメーターです。

今まで人間は自然に対して何をしてきたか。森の木を切り倒し、山を崩し、川の流れさえも変えて周りをコンクリートの護岸で固め、他の生き物のことなどまったく考えることも無く、人間の都合だけで自然を壊してきました。今になってやっと、蛍を守ろうと各地で蛍を放し、多くのお金をかけて増やそうとしています。人間の都合の良い蛍だけを自然から切り取って増やそうとしても、とても無理なことです。蛍が生きていく為には、周りの自然、そこに住む生き物たちが居てこそ蛍も生きていけます。

もし、空には鳥も居ない、川や海には魚も居ない、森や草原に昆虫も居ない、そんな世界になったとしたら、同じ生き物である人間も当然生きていくことが出来なくなるのです。

 

                                  参考文 加藤 孝司




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